上杉マンション完成への軌跡
Category : 不動産
今週の工程は脱枠→埋め戻し→外壁枠のようで6月13日(水)は埋め戻し作業を行っていました。

今回は僕が上杉はどんな町だったかを知りたくなり、せんだいメディアテークに行き上杉の歴史について調べてきました。
1970年(昭和45年)以後に上杉を構成した地区には、東西に走る町として勾当台通、堤通、外記丁通、上杉山通、同心町通、中杉山通、光禅寺通、二本杉通、杉山通、など小さな町がたくさんありました。これらは道の名であると同時にその道にそった町の名です。
上杉山通りは現在の愛宕上杉通りにあたり、杉山台に通じる道という意味で、杉山台は仙台北郊にある台原丘陵の別称です。
上杉は1970年(昭和45年)2月1日、当地に住居表示を実施して多数の町をまとめたときに上杉山通をもととして、字数を2字に縮めた上杉という町名が作られました。
江戸時代には中級家臣の武家屋敷が並び明治以降も住宅地として発展してきたそうです。20世紀後半になって、南西角の1丁目に青葉区役所など官公庁・企業のオフィスビルが連なるようになり、他地区の住宅も高層化が進んだようです。
ちなみに今回の現場から一番町のすき家まで僕が自分で歩いてみたんですが、信号で2分止まっていても11分で着きました!!
近いですね(^_^)

今回は僕が上杉はどんな町だったかを知りたくなり、せんだいメディアテークに行き上杉の歴史について調べてきました。
1970年(昭和45年)以後に上杉を構成した地区には、東西に走る町として勾当台通、堤通、外記丁通、上杉山通、同心町通、中杉山通、光禅寺通、二本杉通、杉山通、など小さな町がたくさんありました。これらは道の名であると同時にその道にそった町の名です。
上杉山通りは現在の愛宕上杉通りにあたり、杉山台に通じる道という意味で、杉山台は仙台北郊にある台原丘陵の別称です。
上杉は1970年(昭和45年)2月1日、当地に住居表示を実施して多数の町をまとめたときに上杉山通をもととして、字数を2字に縮めた上杉という町名が作られました。
江戸時代には中級家臣の武家屋敷が並び明治以降も住宅地として発展してきたそうです。20世紀後半になって、南西角の1丁目に青葉区役所など官公庁・企業のオフィスビルが連なるようになり、他地区の住宅も高層化が進んだようです。
ちなみに今回の現場から一番町のすき家まで僕が自分で歩いてみたんですが、信号で2分止まっていても11分で着きました!!
近いですね(^_^)
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